凧でふれあい

凧をあげてる風景をこのごろ見かけますか?

私たちの子供の頃は正月と言えば、凧あげはあたり前の世界であったのですが、私たちの地域では毎年1月に中学生以下の子供たちを中心とした「凧あげ大会」を実施しています。

主催は青少年協議会と高等学校です。お手伝いは、中学校、小学校のPTAの皆さん方に例年関わっていただいています。私も役員の一人としてかかわっているのですが、今年は支部長の代理で大会全体をプロジュースする役割を担いました。

去年からシルバーカレッジのOBの皆さん、今年は学習塾の学生さん約20名がボランティアとして参加してくれました。

前夜の天気予報では積雪とのことで大会が危ぶまれましたが、当日は寒さは格別でしたが何とか開催できました。 総勢約100名が参加し、グランドで空高く凧をあげました。凧の上げ方や凧のからまりを直したり、足のちぎれた凧の修理など、ボランティアさんのおかげで、より楽しい凧上げができました。

「高さ」と「デザイン」の表彰式のあと、子供たちは、ふれまち協議会が行うもちつき大会に流れて行きました。

世代間のふれあいを通じて地域が活性化していく。

すべてが縮小していく昨今、地域という土俵のなかで協力し合いながら末長く続けていきたい行事です。 

 

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 日 々 是 新

明けましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

「筍(まこと)に日に新たにせば日々新た、また日に新たならん」 

出典は中国の古典 大学   (四書五経のひとつ)

多くの方が座右の銘として掲げる言葉である。 

今日の政治、経済、社会情勢は、私たちが若かりし頃の昭和の時代とは

様変わりをしています。

昨年から残りの人生を考えた時、悔いのない人生を送ろうと胸に刻みました。

そんな気持ちから、これから「日々是新」を 掲げていこうと決めました。

“ 雪の行進 ”

事を起こすには何らかの意味で禊ぎが要りますが、正月2日に六甲山の早朝登山に挑みました。

2日は前夜からの雪で、一面は銀世界。 

まだ周りが暗い6時、懐中電灯片手に雪中行進、大道から行者道(シュラインロード)を行く。この道には道中の安全を祈願する36体の地蔵さんが祠に祭られています

誰もまだ踏み込まない山道を2時間、やっと六甲山記念碑に到着。

厳しい寒さのなか周りの景色と同じく、心も真っ白にし帰路につきました。

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地元の史跡


この12月多忙の故 しばらく振りのブログ掲載になりました。  

昔好きだった歴史とか地理が、この年になって息を吹き返してきました。

久し振りに、毎日窓から見る六甲山系にある古寺山(標高633m)に上ってきました。

 

歴史書によると、650年頃この古寺山の山頂に最初の「多門寺」が法道仙人によって

建てられました。その後荒廃していた「多門寺」を858年に高野山の長善阿舎利が復興しました。

さらに1180年に平清盛が福原に都を移した時、都の鬼門(北東)を守る毘沙門天を探し、

京で鞍馬山が果たした役割をになわせました。

お寺として寺領千町歩を与え、鞍馬、八瀬の大原の人々を移り住ませたと伝えられています。

 

(祖母の時代は大原女のように頭に物を載せて運ぶ風習が続いていたと聞いています)

 

源平の合戦で平家が滅亡し、寺は荒廃しました。1462年に古寺山から現在の地(六甲登山口駅北)に

再建されました。

 

35年前の若かりし頃、暑い夏の日、道なき道を上ったことを覚えています。その時は、ただ頂上にたどり

着くことだけを考えていたので周りのものが全く見えていませんでした。

 

先週の日曜日 散歩がてらに愛犬2匹を連れ出かけました。

今回は 登山道も整備され、標識も要所要所にあり、誰でも登れるようになっていました。笹が生い茂る

平坦地には本堂跡や井戸の跡の標識があり、頂上には修行岩と云われている巨岩があります。

目を閉じると1200年の古の建物が脳裏に浮かんできます。

 

地元にいながら仕事仕事と言い訳しながらきた現役時代。今少し余裕を持ちながら地元の史跡巡りを

しょうと最初の一歩でした。

 

(携帯電話しか持っていなかったので、写真一枚もとれませんでした) 

こどもの芸術祭

先日、地域の「こども芸術祭」が行われました。

主催は青少年育成協議会と高校の共催です。

(青少協にかかわって初めて参加しました)

この芸術祭の特徴は、高校の体育館を舞台に

幼稚園、小学校、中学校、高校、一般のみなさんが一堂に集まり、

自分の持てるわざを力いっぱい披露してくれることです。

また中学生と高校生の合同演奏もありました。 音合わせしたのは

3時間しかなかったと苦労話をしてくれました。

幼稚園から高校生まで一人の子供が若者になる成長を

2時間半の中で 垣間見たように思います。

私のように年をとった人には若者とのふれあいの場でもありました。 

今年赴任された高校の校長先生も、「兵庫県下ではこのように幼稚園~高校生が

集まり、一緒になって何かを行う。 こんな地域はありません。 この高校に来たことを

誇りにおもいます」と感激されていました。

私たち住民も、この『 こども芸術祭 』を誇れるよう、来年はより多く地域の人の

参加を願い、校門をあとにしました。

やわらかな町 伊丹

11月7日 市制70年の式典が、いたみホールで行われました。

市長や市会議長の挨拶の後、姉妹提携都市中国 広東省沸山市人大常務委員会 盧副主任、長崎県大村市長、島根県飯南町長のみなさんのメッセージがありました。引き続き、市に功労のあった213人と67団体の表彰がありました。

この表彰式での発見

伊丹市シテイフィルハーモニー管弦楽団の素晴らしさと 表彰された中に杉本美香という名前があったが・・・まさか・・・そうです。2010年柔道世界選手権で史上3人目の2階級制覇された杉本さんでした。 伊丹の出身でした。

記念イベント

伊丹市在住の有名人 作家 田辺聖子  作家 宮本輝 アナウンサー 道上洋三により「わがまち伊丹に思うこと」と題して話がありました。道上さんの進行により普段着の田辺さん、宮本さんの姿に非常に親近感を抱きました。三人とも伊丹に住まれて40年近くなられたそうで、肩肘はらなくて暮らせる「やわらかな町」として伊丹の住みよさを述べられました。

伊丹の人口は20万弱で東灘区とそう変わらないが、昔を残しながら発展してきた町として何か懐かしさを覚える街です。ひとの暮らしがそう思わせるんでしょう。

伊丹に特養ときめきをつくり10年ですが、「こんな雰囲気を大切にしながら、地元の人たちに役立つ社福をつくらなければ」と、強く思いました。